「なんでやねん…」

いつもは小春に向けられるツッコミだが、今日は覇気が無い上に誰にも聞かれることなく静寂の中へと消えていった。
体温計を憎げに見つめる。38度2分。
何度計っても変わらないその数値を憎き敵のように睨みつけるが、それで体温が下がるわけもなく。
ため息をつきながら半ば投げやりに体温計を机の上に置いた。

滅多に風邪などひかないのに。なんでよりによって今日なんや。
昨日の部活の休憩中に、ふざけて謙也と蛇口の水を飛ばしあった事を今更ながらに後悔する。
白石に窘められた時点で止めるべきだったのに。
ついつい調子に乗ってびしょびしょになるまで遊んでしまった。
つまり結局の所、自分が悪いのである。

(ちゅーかなんで謙也はピンピンしてんねん…おかしいやろ…)

ここにはいないチームメイトに八つ当たりしてみるが現状は変わらない。
ハァ…と再びため息をついて布団に潜る。
枕元に置いてある携帯がチカチカと光ってメールの受信を告げている。
日付が変わってしばらくは誕生日おめでとうの文字でいっぱいになっていたそれが、今では風邪を心配するメールによって埋め尽くされている。
せっかくの誕生日だというのに…
おまけに今日は金曜日。
本来だったら今頃大勢の人の前でモノマネを披露しているはずなのに。

目を閉じて歓声に包まれている自分を思い浮かべる。
目の前に広がるのは大勢の人、人、人。それらの視線を一身に受けながらモノマネをする自分。
ネタがウケた時の高揚感は何度経験しても気持ちがいい。
ライブの後に小春と共にお笑いについて語り合うのも楽しみのひとつだ。
―いつもならば。

実際に目を開けてみると、目の前に広がるのは賑やかな舞台でも騒がしい部室でもなく、静まり返った自分の部屋だ。
リビングからテレビの音と兄の笑い声が小さく聞こえてきた。

(なんか―)

寂しい。
風邪をひいて気が滅入ってるのだろうか。
テレビがないこの部屋に響くのは無機質な時計の秒針の音だけ。
俺は寂しさを誤魔化すように目をギュッと瞑った。

 

 

 

 

 

――ふと誰かに頭を撫でられている事に気づいて目が覚めた。
いつの間にか眠っていたようだ。
撫でている手があまりにも優しくて何だか泣きそうになった。

「あ、すんません。起こしてしまいました?」
「光…?」
「部長から先輩が休みや聞いて心配しましたわ」

メール送っても返ってこんし、と続ける光の顔に手を伸ばす。
「ひかる…」と小さく呟くと「ん?」と優しい声が返ってきた。
それだけで心が満たされていく。

「光、会いたかった」
「…俺もっすわ。先輩がおらんと寂しい」

頭を撫でたままそう告げる光の表情はいつも以上に穏やかで優しい。
そのことが嬉しいと同時に何だかむず痒かった。

「ユウジ先輩、誕生日おめでとう」
「…おん、ありがと」

今更ながらに気恥ずかしくなってきて、さっきよりも顔が熱くなったのが分かった。
これは風邪のせいや、そう自分に言い聞かせながら、赤い顔がバレないように光に抱きつく。
するとすぐにギュッと返されて嬉しくなった。

 

「それにしても…」
「なんや?」
「先輩が風邪ひいてくれてよかったっすわ」
「…なんでやねん」

せっかくの誕生日に風邪をひいて何が良いと言うのだろうか。
俺は寂しくて死にそうやったのに…と恨みがましく見つめていると、その視線に気づいた光が笑った。

「ちゃうちゃう、そういう意味やなくて」

「どういう意味やねん」

「ユウジ先輩、人気者やから」

「…?」

「こうやって独り占めできるんが嬉しいっちゅー話っすわ」

光の言葉に目を見開いていると、さっきよりも強めに抱きしめられた。
俺は「…アホか」と小さく呟くことしかできなかった。
心臓の音がうるさい。けれど光の鼓動もいつもより早く感じたので気にしないことにした。

普段はいくらか冷たく感じる光の低い体温が、今日は心地良い。
このまま抱きしめ合ってる内に、とろとろに溶けて光と一つになれればええのに、と熱に浮かされた頭でそんな事を考えた。

 

 

 

(2009.9.12up)(ユウジ誕生日その2)