「珍Cー…」
慈郎は部室に入ってすぐ驚きの声を上げた。
目の前にいるのは、机に向かって何やら作業をしている日吉。
その日吉がいつもと違う。
「どうしたの?イメチェン?」
「いえ…ちょっとコンタクトを落としてしまいまして…」
いつもと違い、日吉は眼鏡をかけている。
合宿や泊まりの際には見かける光景であったが、こうして部活中にかけているのは初めてだったので、慈郎は思わず興味津々に見つめた。
その視線に堪えられなかったのか、日吉は目を逸らしながら
「鳳に踏まれて使い物にならなくなったので…」と苦々しく呟いた。
本当は落としてすぐに気付いたので、拾えばどうにかなると思っていた。鳳がやってくるまでは。
あぁ、と慈郎は納得した。
ここへ来る途中、鳳がやたらと落ち込んでいたのはそのせいだろう。
きっと日吉にこってり怒られたに違いない。
彼は間が悪いというか何というか…。
樺地に慰められている大きな後輩を窓越しにちらりと見遣り、また視線を元に戻した。
こうして2人きりになるのは久しぶりだった。
夏が過ぎて全国大会が終わった今、3年はテニス部を引退した。
カリスマ的存在だった部長の跡部もその役目を終え、最近は生徒会の方の引継ぎ作業に向けて忙しそうである。
高校がエスカレーター式なので3年生たちは正直暇だったが、引退した以上そう毎日部活に顔を出すわけにもいかず、時々OBとして練習に付き合うぐらいだった。
慈郎もちょくちょく来ているのだが、いつも誰かと軽く打ち合って終わりで日吉と話す機会が全く無かった。
その事を淋しく思いつつも、忙しい日吉の邪魔にならないようにと気を付けている。
「…部長の仕事はどう?」
「大変ですよ。部員が多すぎて細部まで手が回りません」
大変、と言いつつ、日吉は心なしか生き生きとして見える。
部長というのはそれだけやりがいのある仕事なのだろう。
慈郎には想像もつかないが。
何気ない会話をしながら日吉を見ているうちに、慈郎はモヤモヤとした気持ちになってきた。
なんだか―――。
「…早く眼鏡、外せばいいのに」
「え?」
それまで部誌とにらめっこしていた日吉が顔を上げた。
視界に入ってきたのは、拗ねたような、それでいてどこか悲しそうな顔をしている慈郎だった。
「すみません、今なんて…」
「眼鏡が邪魔で、キス、出来ないって言ってんの」
誤魔化すようにそう言った後、気恥ずかしくなったのか慈郎は赤くなりながらぷいっと顔を背けた。
予想外の答えに驚いた日吉も思わず赤くなる。
しばらく2人の間に生暖かい空気が流れていたが、日吉がパタンと部誌を閉じる音によって止められた。
「…試してみましょうか?」
「え…」
思わず聞き返したが、試す、とはもちろんキスの事なのだろう。
ゆっくりと近付いてくる日吉に、慈郎は照れ臭いやら恥ずかしいやらで戸惑いつつも目を閉じる。
すぐ近くに感じる日吉の気配に緊張しながら、本当は彼の視線を遮るガラスにちょっと嫉妬していただけ、という本音を慈郎はこっそりと飲み込んだ。
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最初はもっと違う眼鏡話だったはずなのに…
間が空くと気分も変わるので毎回行き当たりばったりだったりします。
予定は未定ってヤツですね。
(2008.10.26up)
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